俺たちの奴隷がこんなに有能なわけがない (下)

「俺、やってみる。今さら俺みたいなもんがお前らみたいな秀逸なブログが書けるとは思わへんけど、今なら裏ブログがある。あれさえ超えていけばいいってことやんな?それで俺は1年たちから尊敬を取り戻すことができる。」



ほとんど冗談で提案したニシオカとミツイは驚いた。



フナコシが『YES』と答えたことにではない。



その『YES』と答えたフナコシの瞳(め)が、さらにその奥に見える魂が、揺るがない覚悟を顕示していたからである。

彼らは目の前にいるこの男が、先ほどまでハンバーガーを買いに行かされていた男だとはとても思えなかった。




しかし、一番驚いているのは何を隠そうフナコシ本人であった。


なぜあんなことを言ったのか、言えたのか、


その時の彼にはわからなかったが、


それは、過酷な状況から逃げ出したいという生物の本能、そしてかすかな希望にもすがりつきたいという人間の生命力に起因するものであり、むしろ当然の選択だったのかもしれない。







翌日 10月28日

彼が目覚めた時、世界はもはや彼が知っているものではなかった。

ベッドから重たい体を持ち上げるやいなや、フナコシはシャワーも浴びず、顔すら洗わず、すぐにiPhoneを手に取った。



ロックを解除し、パスワードを入力。

お気に入りのページを開けば、求めたものがそこには映った。





「お前を見くびってたわ。こんなに凄いやつやったなんて。」



「天才ってのはお前みたいなやつのことをいうんかもな。」




同級生から賛辞はもちろん嬉しかった。




しかし、彼が真に求めているものは、さらにスクリーンを下へスクロールしたその先にあった。






「フナコシさん、いや、フナコシ先輩。見直しました。」



「あなたをバカにしてた昨日までの自分を殴ってやりたいです。すいませんでした。」



「フナコシさんは尊敬に値する人です。どうか俺をフナコシチルドレンに入れてください。」






これだ…



俺が求めていたものは…







フナコシが求めていたのは「先輩としての威厳」


普通の上級生なら求めるまでもなく手に入る、いわば外形のない称号のようなもの。




それが彼にとっては何よりも望んでいたものだった。

今なら、危険を冒して財宝を取りに行くインディ・ジョーンズの気持ちがわからないでもない。

望んだものが手に入る、それは何にも代えがたい喜びだった。





その時から彼の生活は激変した。




彼を蔑んだ目で見るものは、もういない。


一人の人間として、一人の先輩として、

彼は至極普通の、しかし、彼にとっては初めての正当な扱いを受けるようになった。




「やったな!」

自分の名誉挽回を我がことのように喜んでくれる同輩。




「おはようございます。フナコシ先輩。」

後輩からの敬意。




「すごくおもしろかったよ。」

今まで話しかけてなんてもらえなかった女子マネージャーからのねぎらいの言葉。




いつのまにか彼は日のあたる道を歩いていた。

彼にとってそこはとても眩しい、眩し過ぎる場所だった。





「こんな人生も、悪くないな。」





彼はこんな生活がいつまでも続くと信じていた。







「果報は寝て待て。だが、破滅は待ってはくれない。」



いつの時代も、終わりが訪れるのは突然だと相場が決まっている。

この男の場合もそうだ。




何の変哲のもない1日。



その1日の最後の仕事は、ご自慢のiPhoneで目覚ましをセットすることだった。

別に意味なんてなかった、ただ1日の最後を迎える前になんの気なしに見てみたかっただけ。

彼は自身を日のあたる場所へと押し上げてくれたブログをチェックした。





もしかしたら、自分が賞賛されているのを、数十回、いや数百回目に見るためだったのかもしれない。




しかし、彼の目に飛び込んだのはそれとは全く違う、見たこともない記事だった。

ただ、その瞬間、その記事が自分にとって良くないものではないかということだけが理解できた。






『俺たちの奴隷がこんなに有能なわけがない』(上)(下)






一見何のことかわからない、文面だけでは判断しようのないタイトルに、彼は愕然とした。

さらに半分ほど記事を読み進めた時、全身に悪寒が走った。






「偽ブログ師・フナコシの悪事を暴く」






彼はその記事を目の前にして、眼光紙背に徹することしかできなかった。










時は数日前に遡る


男は神妙そうな面持ちで言った。


「やっぱりこのままではいけない…。どうにかしなくては…。」



その正面に座った男が応える。



「そうは言ったって、今さらどうしようもないだろう!」



2人の男がいるのは偶然にも、フナコシがブログを書くと宣言したあの夜と同じ、とあるファーストフード店の一席だった。




「このままみんなを騙し続けるなんて、俺にはできない。」


彼らは罪の意識に苛(さいな)まれていた。








いつもは洞察深いこの男たちも、あの時ばかりはこんなことになるなんて想像もつかなかったのだ。


ミツイとニシオカはあの夜のことをもう一度思い返し、そして悔やんだ。





フナコシはやる気に満ち溢れていた。




汚名返上・名誉挽回




おもしろいブログを書くことは、それができる唯一無二のチャンスだった。


しかし、ミツイとニシオカ、冗談半分で提案を持ちかけたはずの当の本人たちは不安でたまらなかった。

彼らはブログというものの難しさを最もよく理解しているのだ。




上手くいった時の達成感、満足感。

失敗した時の喪失感と無力感を、失敗した者たちの末路を、彼らは知っていた。





2人はフナコシに、ブログの難しさを何時間も説いた。



優れた発想力に加え、それを文章化する文才、何度も推敲し直す根気。

ただ情熱をもった者なら誰でもできることではない。

自分たちだって数カ月という時間を費やして今の実力を手に入れたのだから。




このままでは今まで2人で築き上げてきたものが、こいつの手で壊されてしまう。

そんな風にも思ったかもしれない。





それでもフナコシの意志は変わらなかった。

2人の言葉はもう耳には入らない。

頭には、どうやって面白い記事を書くか、そして、成功した時のイメージしかなかった。





ミツイ・ニシオカの2人は、このような事態を招いてしまった自らの軽率な言動を恥じた。

と同時に、自分たちが責任を取らなければならないことも知っていた。




2人は断腸の思いでこう述べた。





「お前の気持ちはよくわかった。じゃあ、こういうのはどうや。俺がお前のふりをしてブログを書く。」






フナコシには意味がよくわからなかった。





「俺が面白いブログを書いて、それをお前が書いたことにして発表する。俺が書けばまず失敗のリスクはない、それにお前は何の労力も要せずして一夜にして名
誉を取り戻せるんや。」






フナコシの頭は真っ白になった。






そして、1つの不安が浮かんだ。







「そうや。もしかしたら失敗するかもしれんねや。俺は、もし失敗してもこれ以上は貶(おとし)められることはないと思ってたけど、そんな保障はどこにもない。今以上の苦痛が待ち構えてるかもしれんねや。」




不安は瞬く間に彼の精神を支配した。


ヒトが最も恐れていること、それは「恐怖」という感情そのもの。




恐怖に支配された人間は何もできない。

自らの恐怖に打ち勝ち、栄光を掴み取るなんて、漫画の世界の絵空事だ。


恐怖はフナコシを突き動かした。








「じ、じゃあ、そうして。」











かくしてあの日のブログは生まれた。



世間にフナコシ書いたと認識されているあの記事は、史上最強のゴーストライター・ミツイが、




みんながフナコシだと思うような文体で、




みんながフナコシだと思うような視点で、




みんながフナコシだと思うような技術で仕上げた、




絶妙の作品だったのである。




当のフナコシ自身は何もしていない。

すぐに家に帰ってシャワー浴びて寝ただけだ。



それにもかかわらず


「不甲斐ない1回生たちは俺を見習えよ。」


「ブログってやっぱり大変な作業やな。」


「ミツイ・ニシオカの技を盗んで必死に書きました。」





ありとあらゆる虚言・妄言をツイッター上で吐き続けた。



「こんなんで騙されるとは、アホな後輩どもや。とはいっても、明日からはそいつらの尊敬のまなざしをうけるんやから許しといたろか。」


そう思っていたに違いない。




なんとかしてブログを面白くしようとしている1回生たちに対する


これは最大の侮辱である。



フナコシは尊敬すべき先輩などではない。




人として風上にもおけない、他人の純粋な心を利用するという悪を平然となした、稀代のクズ野郎だったのである。








フナコシはようやくiPhoneから目を離した。


まばたきも惜しんで読みこんだためか、目が乾いてしまっている。

幾度か目をパチパチとさせた後、彼は大きなため息をついた。






彼の眼に映る景色は、再び光を失っていた。






またあの生活に逆戻りしてしまうのか



そう考えると、まばたきせずとも瞳が潤ってしまいそうだ。

「もしかしたら、あいつらはここまで計算してたのかもな。」




そんな独り言をつぶやいた。









京都行きの電車に揺られながら今日も男は暗闇をゆく。





「お前、今日はジャスティスの助っ人な。早よ向こう行けや。」


もはや召使ではなく奴隷といった方が正しい。





「キモッ!こっちくんなよ。」


女子マネージャーは目も合わせてくれない。





「あっ、すんません。あんまり近づかないでください。さっき手ぇ洗ったばっかりなんで。」


後輩たちは人としてすら扱ってくれない。






でも仕方がない。





それもこれも、人を欺いてまで名誉を手に入れようとした報い。





人間関係の最も重要な要素。



それが信頼だ。



信頼を失った者が得られる人間関係がまともなわけがない。






自分に言い聞かすようにそう言った彼の漆黒のような色をした目には、沈んでゆく夕陽の赤が差し込み、




汚れた茶色となって鈍く輝いていた。






この物語はノンフィクションであり、実在する人物・団体・事件とは

めちゃくちゃ関係あります。




【出版】電撃文庫【価格】580円+税




【著者】ニシオカダイキ
1991年生まれ。兵庫県出身。
2011年度電撃小説大賞・アマチュア部門大賞受賞。
現実と妄想の狭間を見事に描き切るそのスタイルで小説界に新風を巻き起こした風雲児。自身の所属する野球サークルのブログも担当しており、皮肉たっぷりのその文章で絶大な人気を誇る。過去の作品として『ピンクダークの少年』(岸辺露伴)、『疑探偵TRAP』(亜城木夢叶)のノベライズを担当した。




イラストレーター】ツノナツキ
1991年生まれ。愛媛県出身。
ホトケのマネージャー界に君臨する女王。その圧倒的な攻撃力により、男性諸君を恐怖のどん底へ陥れる。
今回、著者の作品の大ファンという事で得意のイラストで協力してくれた。
様々な作風を使い分ける技量と仕事への情熱が持ち味。